何を撮るか?


写真は好きなのに、撮りたいものが最近ないんだよねぇ。

そろそろFotologにUPするものがなくなってきて、新しく撮りだめしときたいなぁ、なんて考える今日この頃。しかし、旅行に行くでもなく、日々会社と自宅の往復の身としては、撮りたいものが身の回りにない!という事態に陥っている。もうホントに、外に出なきゃ。綺麗な色彩、変な形、光と影が織りなす美しい眺め—。ちっとも触れてないもんね、最近。

今いるのかどうかしらないけど、昔ちょっと流行ったネットアイドルなんていう(ごくごく普通の)人たちが代わり映えのしない自分撮り写真を飽きもせず公開してたのも、そういうつまんない日常を送ってるのに、いや、だからこそ『自己表現』という衝動に駆られて、唯一の興味対象=自分をひたすら撮り続けてたってことなのかなぁ、なんて思う。

表現したいことなんて無い。でも表現したい。女の子のオシャベリなんかもそういう側面があるんだろうか?(それとも、喋ってないときにできる「間」に耐えられないだけなのか?) あるいは数多ある個人ホームページ上で「ポエム」として公開されている(そのコトバはどこかで聞いた、浜崎某かなにかの詞そのものであったりする)独り言も、やはり「表現」欲求のみがあって、他人の表現の表象だけをなぞらえている、という例なんだろうか? それでも、表現を渇望し、その真似事でもするだけまだマシなのか。その術を知らず、自分でもそれが何者か把握できない若き日の苛立ちや排泄欲にも似た衝動を破壊行為として現出させてしまうよりは良いのか。それが他人から見ればただの自慰行為に過ぎず、何も伝わらない(表象しかないから当然だが)としても。

僕が怖いのは、裏も無く奥行きも無く内容など皆無の文字の羅列や同じ顔の連続を「表現」として承認してしまうという現実があるとすれば、ただでさえ陳腐で歴史も実績も無いこの国の「表現」が、どうしようもないところまで落ちていて当面回復の見込みもない、ということなのではないか、ということ。まぁ、PCを中心とするインダストリアルデザイン1つとっても、絶望的である、ということは確定しているような気もするけど。

話が逸れた。さて、撮りたいものがない時はとりあえず新しい武器(=カメラ)を装備してみる、というのも手ではある。さて、どんな武器にしようか。

Posted: 金 - 10月 24, 2003 at 08:43 åflå„        


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